Your focus determines your reality.

思ったことや新たに知ったことのメモとして。元々は留学中に考えていたことを記したブログでした。

ユーザが製品に持つ愛着

水曜日のNew Product Developmentでは、ユーザが製品やサービスに対して潜在的に抱く心理的なつながりについて学んだ。

心理的なつながり、要するに愛着のようなものは、その製品を他の競合から大きく差別化するパワフルな要素であるにも関わらず、多くの企業がその意味を軽視しすぎているという。

そして、その心理的なつながり方を汲み取るための手法として今回学んだのが、ユーザが製品に対して感じるイメージを写真と文字でまとめ、そこから相手がその製品をどのようなものと捉えているかを探るエスノグラフィであった。

 

黒船来航と人間の心理

ただ、今回の授業の中では、エスノグラフィの演習に入る前段として、人間が自分の持っているイメージをどのように絵や文に描き出すかを考えるステップがあった。

そしてそのために紹介されたのが、日本に黒船が来た時のことについての簡単なビデオであった。その中では、初めて見る西洋の文化や技術に触れた日本人がいかにそれらを絵に残したかを取り上げていた。

絵は大きく2種類に分かれ、技術伝承のための正確で緻密な設計図のようなものに加え、黒船伝来という衝撃的なニュースをゴシップ的に描いたものが紹介された。例えば黒船の帆先に実際には無い竜の頭がついていたり、ペリーを初めとする使節団のメンバーが恐ろしい形相で描かれていたりするものだ。

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授業ではこれらのデフォルメされたイラストを取り上げ、その裏に隠された心理を紐解き、新しいものに触れた時の人間の心理がいかに働き、絵や文として外に現れるかを考えるという流れとなった。

授業のポイントとして学び取ったことと、自分なりの解釈を以下にまとめてみたい。

 

人間はそもそも、潜在的にも顕在的にも、自分を取り囲む物質的なモノとそれらが与えるイメージの中で選択を行なっている

これは言われてみれば当たり前のことだが、人間の選択は自分の中にある揺るぎない基準だけを元に決められるわけではない。目に見えている物質的な物や、そこから受ける心理的な影響、それらをひっくるめた文脈の中で選択を繰り返している。これは意識的に行う顕在的な選択も、潜在的にしてしまう選択も同じことだ。だからこそ、製品とユーザの関係性が重要になってくるのだと思う。

 

人間の発する言葉やイメージは、記憶によって歪められたり、気づかない部分や覚えていない部分が補足されたりする

ビデオでは、ペリーの実際の写真と、日本人が描いたペリーの似顔絵が比較されていた。ペリーは白人であるが、日本人が描いた絵はいずれも歌舞伎絵調のものになっており、いわゆる脳内補正がかかっているものであった。

ユーザに製品について思うことを描き出させると、その中には自分がハッキリ覚えている部分とそうではない部分があり、まずはハッキリと覚えている部分が描かれ、その後空白部分が自分の持っている心理的なイメージによって埋められていく。

授業の演習の中ではさらに10ドル札を記憶だけを頼りに描く、というものがあったのだが、多くの学生は人間が真ん中に映っていること、「TEN DOLLERS」「THE UNITED STATES OF AMERICA」と書いてあることは思い出せるのだが、その他の特徴(人物の髪型や服装、それぞれの文字が書いてある場所)は描いてあるがハズレ、という結果であった。

人間の持っているイメージは記憶による補正がかかっている。

 

人間の描くイメージの中には、人間がそのモノに対して持っている希望、恐れ、好き嫌いが滲み出る

黒船のビデオの中では、技術伝承を目的とした正確な絵での他に、カリカチュアライズされた「ガイジン」や「クロフネ」の絵がたくさん紹介された。

その中には、相撲取りがアメリカの軍人を投げ飛ばしているマンガも数点あった。勇ましく強そうな力士と投げ飛ばされている弱そうなアメリカ海軍の軍人というイメージの中には、日本人が当時感じたであろう「こうであってほしい」という希望や、その裏にあるアメリカという未知の国への恐れや反発感情が見て取れる。

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以前聞いた話によると、記憶を頼りに一円玉の絵を描かせると、お金に困っている人ほど硬貨を大きく描きがちだという。

人間が描くイメージの中には、対象物(エスノグラフィで言えばサービスや製品)に対して持っている潜在的な感情が色濃く出ているので、そこを観察することに意味があるということである。